「なんだ…これは…」
適度に柔らかい布が目を覆っていて、周りが一切見えない。
その邪魔な布を取ろうにも、腕は何か硬いもので拘束されていて(多分手錠か何かだろう)、身動きが殆ど取れなくなっていた。
状況が把握できず、自身が直前までしていた行動を思い出そうと首を捻った。
確か、パソコンでセキュリティのプログラムを改竄して、延々「しね!●レンタインデー」が流れるように設定、それから通用口のデータを拝借し、パソコンの電源を切って…
駄目だ、これ以上思い出せない。
記憶の糸がプツリとそこで途絶えてしまっている。
知らない内に落ちていたらしい眠りから目覚めてみれば、拘束・目隠しだ。
意味が分からない。
いや、待てよ光に透かしてみるとこの布、なんか紫色じゃないか?
紫?紫の布…
「きりゅう?」
「うわ、おま、早いな気づくのが」
ぽつりとつぶやいた名に、すぐさま返事が返ってきた。しかも予想以上に近い距離から。
遊星はため息をつき、そこにいるのであろう鬼柳に話しかける。
「…何故こんなことをする」
いつもより少々低い声が、部屋に響く。
「なんでって、お前、」
鬼柳の掠れたような、酷く不愉快な笑い声がかすかに聞こえた
「お前を俺以外の誰の目にも触れさせず、お前に俺以外の誰も目に映させず、声も、視線も、体温も思考も神経もなにもかも俺のものにする為だよ」
もう、ジャックやクロウに嫉妬するのは懲り懲りだ、と鬼柳は囁いた
そこでようやく、遊星は鬼柳の様子がおかしいことに気がついた。
彼の口からつらつらと洪水のように溢れてくる言葉は、とても正気とは思えなかった。
狂っている。
ああ、優しく仲間思いの鬼柳は、何処に行ってしまったのだろうか
「きりゅ、う」
「ここだったらよぉ、誰も来ないし誰も来ようともおもわない。俺達だけだ」
「き、」
「アぁ、遊星、俺だけの遊星 ようやく手に入れた」
彼が欲しているのは己を肯定する言葉のみなのだろう。
遊星が必死に紡ごうとしている「否定」は彼の耳に入る前に、否、遊星の喉から発せられる前に握りつぶされるのだ。
純粋な狂気を目の前にして、遊星は全身汗でじっとりと濡れていた。
先ほどは自らのことで手一杯で気づかなかったが、成る程彼の言う通り、周りには一切人気がなく、不気味なくらいに静まり返っていた。
「…う、あ」
絶望を前にして、遊星の肩が怯えを現すかのように大きく揺れた。
「遊星、ずっと一緒にいような?」
目の前で微笑んでいるであろう人物は、優しく遊星を抱きしめた。
嗚呼、本当にここはどこなのだろう
何も見えず、自由が利かない。
頼りの言葉も聴いて貰えない
そう
たとえるならば
ここは、きっと蜘蛛の巣の中心なのだろう
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屍と化した彼を、誰が愛せようか。
「こっちへくるな、来ないでくれ!」
嫌悪を顕にした表情で、青年が叫ぶ。それに酷く傷つきながらも、じりじりと彼は青年との距離を詰めた。縋るように、腕を伸ばす。
「遊星、お願いだ、話を聞いてく…」
「寄るんじゃない!」
無慈悲にもその伸ばされた腕は、青年によって叩き落とされた。
そして叩き落とした際に触れた手を心底汚らわしいものを見るかのような目をして見つめている。
「ゆう、せ、」
「どこかへ行ってしまえ!この亡霊が!!」
そんな、悪夢。